8月20日に産んだ次男が
ダウン症でした。
合併症がなく、
2度の胎児スクリーニングでも
「正常」と言われており、
ショックが大きく、
夫婦で泣いています。
医師からの告知の時、
幸いにも合併症はない、
平均寿命は60歳に延びているなど、
励ましの意味も込めて
ご説明頂きましたが、
嬉しいと感じませんでした。
そんなに生きるの?
と思いました。
出産して初めて見たときの
グロテスクなまでに
浮腫んだ顔。
あまりにも似てない風貌。
まだNICUに入っており
一緒に暮らしていませんが、
出てこないまま死んだらいいのに、
と、
人として最低なことを考えます。
今も、
もし出てきたとしても、
肺炎で
早く死んだら長男に
苦労をかけずにすむし、
ギリギリ
次の子も望めると
考えてしまいます。
なのに、
NICUに母乳を届け、
抱っこをし、
直母の練習をするたびに、
愛情が増します。
かわいい次男、
大好き、
と思うのに、
一方で死んでほしいと思い、
自分が
壊れてしまいそうです。
勝手に涙は出るし、
眠られず、
食べられません。
なぜ涙がでるのか
わかりません。
次男は何も悪くないのに、
母親にこんな風に思われて、
本当にかわいそうです。
でも、
頭の整理がつきません。
お坊さんのご意見を
うかがいたく、
ご連絡差し上げました。
長々とすみません。
よろしくお願いします。
坊さんは
何度かハンディキャップの
ある子どもを担当したことが
あるのですが
その保護者さん達は
障がいのある子を
出来る限り前向きに
受け止めておられました。
が・・・・
どうやって
受け入れることが
できたのか
を尋ねた時に
子どもが
生まれてから
受け入れれる様に
なるまでに
①精神的打撃と麻痺状態
(何も考えられない)
(何も考えられない)
②否認
(信じない)
③パニック
(どうしよう どうしたら・・)
④怒りと不当感
(なんで私の子が・・)
(なぜこんな辛い目に・・)
(なんで私の子が・・)
(なぜこんな辛い目に・・)
⑤ うらみ 敵対 敵意
(誰もわからない)
(誰もわかってくれない)
(検査では正常だったのに)
(誰もわからない)
(誰もわかってくれない)
(検査では正常だったのに)
⑥罪悪感
(あの時こうしておけば)
(私のせいで・・・)
(あの時こうしておけば)
(私のせいで・・・)
⑦孤独感と抑うつ
(孤独)
(孤独)
⑧精神的混乱と無関心
(もうすべて どうでもいい)
(もうすべて どうでもいい)
⑨.あきらめ(受容)
(いつまでこうしてても仕方ない )
(いつまでこうしてても仕方ない )
⑩.希望ユーモアと笑いの再発見
⑪新しいアイデンティティの発見(立ち直り)
こんな
過程を通るそうです。
特に
何かの
イベントや行事がある度に
周りの子と比べては
①から⑪を繰り返すようですが
『その度に何とか
対策を考えて
強くなれます。
くよくよしてても
何も変わりませんから』
と仰っていました。
これは受容してから
何年も経ってからの方の
お話です。
今のあなたは
まだお子さんを
産んで日が経ちません。
①から⑧を
行ったり来たり
すると思われます。
その
哀しい感情や涙を
沢山
出すことと
ご主人に
怒りをぶつける
のではなく
どんな事でもいいので
言葉に出して
話合って下さい。
一般的に
男性の方が子の
ハンディキャプを受け入れ
にくいと言われていますが
男性が
パートナーとなって
一緒に考えてくれる
夫婦は強いです。
そして
病院を出て
体が回復したら
同じような経験をした
仲間が集まる会がありますので
探してみて下さい。
そこでの
共感や情報の共有は
必ず役に立つと思います。
コメント
コメント一覧 (6)
小学1年生ですが、まだ話すこともできません。
私も坊さんの言う、①~⑪をずっと繰り返しています。⑧は、私の場合無かったです。
あきらめというか、私がどう足掻いても、この子は知的障害のある自閉症なんだと思わざるえない状況で、それでもまわりの子たちよりはゆっくりゆっくりですが少しずつ成長している姿に、すっごく小さな成長でも大きな感動を得ています。
小学生になり、やっとボタンをとめることが出来たときは、思わずぎゅーっと抱きしめて喜びました。
きっと、上のお子さんとは違う子育ての感動を与えてくれると思います。
でっかいぼうさん 今晩は🌉
私の長男は心臓病で産まれました。産声を聞いてそのまま保育器に入り、抱く事も出来ず子どもだけNICUがある病院に転移。私は訳がわからず病院から子どもに会いに行きました。30年前の話です。今私の前には赤ちゃんの長男の写真しかありません。
今、目の前に突き付けられる現実、辛いとか、苦しいとか、言葉では言い表せないと思います。私の言葉など終わった話に聞こえるかもしれません。
ただ、私は長男を抱けた時間が今も幸せです。一緒に病気と戦うことができたなら、もっと幸せな時間があったはず。温もりを一緒に感じて下さい。想像するより、不安を抱くより、絶対幸せな時間になりますよ。
心疾患もあり、それはそれは泣きました。
自分が何で?人生終わったと思いました。
ネットで検索の毎日。
その中でダウン症等の染色体異常の胎児はほぼ流産すると知りました。
そして産まれてきた我が子はどれだけお腹で頑張ってたのか、産まれ来たかったんだと思えたら、また違う涙が出ていとおしくなりました。
お母さん、少しでも可愛いと思えたら大丈夫です!
今の私はもうメロメロです。何で悩んでたんだろうと、この数ヶ月でこんなです。
顔は特徴出ますけど遺伝子は間違いなく親からなので必ず似ています。
ダウン症の親御さんが書いてるブログやインスタグラムを是非見てください。
みな愛情たっぷり、一生懸命育っています。
でっかいおっさんも言われてるように、実際に育てられてる方に会って話すと色々と聞けたり、話を聞いてもらったりして私はとても気が落ち着きましたよ。
お互い、のんびり育つダウンちゃんを頑張りすぎず、同じようにのんびり育ていけるといいですね。
今が一番辛い時です。
受入れて行くまでは、私も本当に苦しかったです。親に当たり散らしたり(お母さんごめんね、ありがとう!)
今は可愛いい我が子とのんびり楽しい毎日を送ってます。これから、素敵な出会いが沢山ありますように。
母親なら子どものことはなんでも受け入れられるなんて幻想です。むしろ母親だからこそ、子どもが障害児でショックなんですよね。少しずつ愛情が沸いているとのことなので、無理せず次男くんと生活する上で少しずつ愛情を貯めていってほしいと思います。
保健師さんや保育士さんなど、そしてもちろん旦那さんにたくさん手伝ってもらってください。悩んだ時困った時、絶対に自分一人で抱え込まないでください。必ず誰かに相談してください。悩みを聞いてもらうと、心にかかる負担が話を聞いてもらうだけで半分になるそうです。
うちの末娘もダウン症として産まれてきました。
心臓疾患、一過性の白血病、十二指腸狭窄など たくさんの病気を持って産まれましたが 7歳の現在は 全て克服しました!
うちもNICUに1ヶ月お世話になり、その頃はこのまま帰ってこなければいい、帰ってきたら お兄ちゃん達と同じように育てられるのか、と 酷いことを考えていました。
自分の中に実はあった、障害者に対する差別みたいなものを 見せ付けられた気がして辛かったです。
初めての療育、初めての相談、何もかもが初めて…。仕事は続けられるのか、不安でいっぱいでした。
でも よく考えてみたら 初めての出産、結婚、就職、同じように悩んで相談してきたなと。
不安なのは 知らないから。わからないから。
大丈夫です。
その子と一緒にお母さんも育っていくんです。
わたしもそうでした。
兄弟たちも 優しい子になってくれました。
いまは家族のアイドル、この子のおかげで家族がまとまっています。
日々、この子の優しさ、笑顔に癒されています。
仕事もできるし 出産前と変わらない生活です。療育に通ったりはありますが 上の子たちの中耳炎のときの耳鼻科通い(週一)に比べたら なんてことないです(笑)
大丈夫です。
必ず笑って過ごせる日が戻ります。
やまない雨はないんですから…
応援しています!